明智光秀と島左近が奈良の大仏とすれ違っていた事実、想像だけでも歴史ファンの血が疼く。
伝説たちの遭遇、ただし決してキレイな状況で対峙したわけではない。
戦国時代、織田信長が桶狭間の戦いで勝利を収めた7年後の1567年のこと。
松永・三好の争い、俗称・東大寺大仏殿の戦い(許されないネーミングだ!)の兵火で、
東大寺大仏殿に加えて、奈良の大仏の仏頭が焼失している。
信長に仕官する前の浪人時代に明智光秀が東大寺を訪れていたかは不明だが、
近畿一帯を攻略する全権を任された近畿管領を務めた役柄上、
明智光秀は大仏殿がなく野ざらしになった焼失後の奈良の大仏を見たはず。
近畿一帯を攻略する全権を任された近畿管領を務めた役柄、彼は京の文化に通じた文化人の顔もある。
750年もの間、大和の寺社が守り続けてきた伝統を戦火で灰塵にしてしまった時代。
奈良の大仏の大きさの意味ですら、醜い利権争奪戦の前には価値を無くす。
だから明智光秀と奈良の大仏の大きさが交差した瞬間に美しい場面がない。
雨ざらしになり、仏頭を失った奈良の大仏を見上げて、明智光秀は感銘よりは無常を想ったことだろう。
平和を願い奈良の大仏を造立した聖武天皇の理想が、人災によって潰えた形。
明智光秀もまた、東大寺大仏殿の戦いの15年後には、戦によって命を落としている。
平和で幸せな現代人が見る奈良の大仏は、派手と明るさだけに満ちているようにも思える。
実体は、そんな歴史のページを幾つも経ている奈良の大仏だ、清濁を併せ持っている。
もうひとつのイメージを想い浮かべよう。
戦国時代、大和国の武将たちが東大寺・奈良の大仏の前で物思いにふける絵。
出陣の前、大きな決断の分かれ道に、奈良の大仏に助言を求め、ついつい訪れてしまうとか。
大和の有名な武将とは? 島左近、その御仁しかあるまい。
筒井順慶が大和国統一をした過程で、その右腕として戦術を請け負った希代の猛将だ。
島左近と奈良の大仏の遭遇、これも考えるだけでも歴史ロマンでウズウズしてくる。
しかしそんな空想は現実のものではない。
東大寺大仏殿での戦火は島左近27歳のとき、それから奈良の大仏は焼失で仏頭がない。
大和国で生まれ育った者にとっては重い存在、奈良の大仏。
その大きさに包まれ、島左近は育ってきたはずなのに。
戦場へ赴く前夜、東大寺大仏殿に島左近が歩いてくる。
共も連れずただ一人、半分失った奈良の大仏の姿を見上げながら一人思いに耽る。
そんなシーンを想うたび、涙が出るような美しさを感じ、奈良の大仏の大きさを知る。
夢幻だったようだ、そんな島左近と奈良の大仏の共演は。
奈良の大仏の頭部や、大仏殿そのものが焼け落ちてしまった後、島左近は何を思ったのか。
これも大きいお話、奈良の大仏の大きさを痛感するような場面ではなかろうか。
令和を生きる現代人の私、ある時に奈良にある古道を走っていた。
桜井駅から奈良公園までの約30km、「山の辺の道」と呼ばれるウォーキングコース。
そこを朝から夕方までかけて一息にランニングしてしまおうという楽しい趣味。
何が魅力って、その1,300年前からの古道の周辺環境が穏やかなこと。
古い神社にお寺が幾つもあって、古墳や遺跡を横目に見ながらランニングができる。
大和三山や奈良盆地を見渡しつつ、道脇の田畑や山々の形に「おおらかさ」を感じて。
この旧街道は奈良時代よりもっと前に整備されていたとされるから、
仮に奈良の大仏を見ようとして東大寺へ歩いた先人がいたとして、私は同じルートを辿っていることになる。
途中の石上神社や大神神社は日本で最も古い神社の一つ、その大きさや格式には圧倒されるものがあった。
地方の農村で生活していた人たちにとっては驚きの文化だっただろう。
現代人の私にとっても思わず足を止めてカメラを向ける名所が数多くあった山の辺の道。
それでもね、夕方前には新薬師寺を経て奈良公園につくと街の大きさにびっくり。
おおらかな道が、人で賑わう町に。
一泊して翌朝に奈良東大寺の大仏殿へ行き、あの奈良の大仏様の前に立つと、
何度もお会いしている大仏様だけれど、
その大きさ、座高15m、仮にたったら27mという大きさの前に、何の理屈もなくただ圧倒された。
これか!
誰だろうと、何も理由なくびっくりしてしまう仕掛けが奈良の大仏の大きさ。
i-PhoneとAirPods、Apple製品とランニングしている令和の私にでもズバリと入ってきた驚き、
奈良の大仏の大きさは分かりやすいメッセージ。
これを奈良時代に目の前にしたら、驚きはどれほどだろうか?
山の辺の道の神社寺院だけでも驚くのに、10倍もある仏像(普通の仏像は当時の人の背の高さ150cmとして)を
前にしたら、そのありがたさに思わず見上げて口を開けっ放しにしてしまう。
そう考えると聖武天皇の狙いは、令和の現代まで有効なものになっている。
和風や和様が好きな私だからかな?
ふと周りを見ると、コロナ禍でもようやく復活した修学旅行生たちがいたが、
やはり彼女彼らだった、大仏殿の入口でいざ奈良の大仏様に対面した時は、見上げて圧倒されている。
思わず全員がスマホで写真を撮っているところを見ると、
このインパクトを無効化できる人間なんて存在しないのでは?と思わされるぐらい。
ねぇ、聖武天皇と奈良の大仏、あなたたちの狙いは的中ね!
見るだけで何も生み出さないようで、訪れる誰もの心の中に必ず何かを植えつけてしまうあなたたち、
それが「奈良の大仏の大きさ」ってことでしょう!